« 風は吹いていた | トップページ | 角居厩舎 思い出の馬 5撰 »

素晴らしき勝利、美しき敗北

これほどにワクワクした感情を持ってジャパンカップを迎えるのは、もしかしたら今世紀になって初めてかもしれないと考えていた。90年代JCのカオス感とは質が異なるが、アーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトという稀代の名馬が集った今年のJCは、その純粋な磁力で私の感情を湧き立てたのだ。

アーモンドアイにとっては、最後の「証明」だった。
2歳時から尋常ならざる脚でタイトルを積み重ね、現役のみならず本邦競馬史上においても最強の一頭であることを証明し続けてきたアーモンドアイ。引退レースのJCでも素晴らしい勝利を飾り、それまでの評価が本物であることの最終証明になった。

コントレイルにとっては、持たざるものの「証明」だった。
2歳時から配合にべた惚れし追いかけてきた私はこれレースでも本命を打った。そして、一流のアスリートであるが一流の勝負師ではない福永祐一が、あの位置にコントレイルを導きレースをさせたとき、このコンビが持たざるものを見た。ネガティヴな意味では決してなく、パーフェクトたり得ない競走馬にとって、それを知ることは貴重という意味だ。飛行機雲という名の名馬と福永騎手が、今回の美しき敗北の意味を知り、これからさらなる高みへと飛翔していくことを願わずにいられない。

デアリングタクトにとっては、価値の「証明」だった。
同世代牝馬3冠がどれだけ価値のあるものか、それは新たな戦いのステージでしか証明できない。そしてこれまでとはレベルの異なるレースにおいて、結果として届かなかったとものの、3冠牝馬の称号が決して看板倒れでない価値を孕むことを、自らの末脚で証明した。

総括すれば、絶対女王アーモンドアイに3歳の俊英が挑んだものの、(騎手の胆力を含めて)力の差を見せつけられたということになろう。しかしそれぞれの競走生活において、非常に意味のある挑戦であり、レース内容であり、結果であったのだと私は感じている。

さらに言えば、キセキの大逃げやカレンブーケドールとグローリーヴェイズの粘りもまた素晴らしく、このJCを名勝負にした大きな要因であったことも間違いない。

夕日が勝者を照らす晩秋の府中競馬場で、来年は歓声を送れる日々が訪れんことを。

|

« 風は吹いていた | トップページ | 角居厩舎 思い出の馬 5撰 »